演じていない時

朝起きて、妻である自分、夫である自分、親である自分という立場を考えたことがあるだろうか?

 

会社へ行って、平社員の自分、係長の自分、課長の自分、部長の自分を考えたことがあるだろうか?

 

この立場だからこれは言えない、この立場だとこういう振る舞いはできない、こんな時だからこそこう言わなきゃいけない、この場面ではこういう行動をしなきゃいけない…。

 

みんな周りの状況に迫られて、行動も、言動も、制約していたりする。道端で歩いていても、電車の中で、会社の中で、学校の中で、お店の中で、レストランの中で、その場に応じたその場での振る舞い、その場に応じた声の大きさ、身のこなし、別にどこかにそのルールが記載されているわけではないにもかかわらず、そういう役目、そういう行動を取ろうとする。

それは立場として、年齢として、性別として、そういう行いを自らに課し、意識するしないにかかわらず、たぶん演じている。

たまにはそこから外れたいと思うこともあったりするけれど、子供の手前、部下の手前、彼女の手前、今はそれはできない。

 

そして一人の時間が全くなくなると、そういう縛りを解く時間がどこにもなくなって、息苦しくなってきたりする。

 

今、都会にはたくさんのカフェがあって、たくさんの人がいるようだけれど、誰も他人のことなど気にすることなどしない空間がたくさんある。

人が多ければ多いほど、誰もあなたのことなど気にしない空間。

そしてそんな喧騒の中でこそ、実はほっとしていたりする空間。