不確実な未来

日本が高度成長期であった頃。

別に投資せずとも順調に「みんな一緒に」成長してこれた。預金金利だってそこそこあったし、もちろん物価の上昇も早かったこともあってみんなモノを購入した。家やマンションを買っても、金利以上にモノの価値が上がるので、みんな購入した。景気がいい話だ。

 

それに乗じて、株で儲けた人もいるのかもしれないけれど、私の周りでは、株に手を出して失敗した…なんて話がちらほら聞こえてくることもあり、あぁ、あぶないあぶないということにもなっていたのだろう。そこまで無理せずとも、モノを持つだけで裕福になれた、なれた気分を持つことができた。

 

反対に今はというと、私が言うまでもなくモノの値段が下がってきた。モノを購入しても価値は上がらない。家電のように毎年価値を乗っけるモノのみならず、不動産からしてそうだから人は物を買わなくなる。ギリギリ安い価格のものを選択する。

 

人々は委縮し、今物を買うのは損だと思い込めば、消費は抑える方向になるのは当然の事。それでも生きていくためには、モノを食べ、衣服を買い、住居に住まわなければならない。そこをジワリと刺激する、値上げしていくことで、景気を刺激したくもなる。

 

ニワトリが先か卵が先か、どちらに刺激を与えていくのかそんなことはどうでもいい。「自分」がその恩恵にあずかることができるかできないか。そんなことばかりを考えている。

隣の奴を抑えて自分が得をすればいいのか。

いや、隣は顔見知りだから一つ飛ばして、そのお隣ならばいいのか。

 

顔の見えない他人を蹴落としていけばいいのか。

いや、みんなで一丸となって、次の世界へ踏み出していけばいいのか。

一丸となる術を知らないだけのような気もするんだけれど。