何を受け取るか

結果を急ぐあまり、ついつい「結果」を欲しがる。それを確かに与えてくれる人はいるけれど、それを安易に受け取るとやばいことも少なくない。ちょと用心する人なら、「結果」と共に「理由」を欲しがる。が、これでさえもやばいときにはやばい。

 

何かを考えるためには、それを考えてきた道筋がある。この考え方が間違っていたとしたら、そもそもそれによってたどり着く理由すら間違える可能性が高い。

どう考えたか、どうしてそう考えたか、手法も確かにいくつかあるけれど、そうそう奇抜なものは出てこない。

 

そんな考え方があり、それによって出てくる理由が見えてくれば、結果は言わずもがなになる。

時に、結果だけ見れば同じところに帰結したとしても、その後、その結果を支え続ける裏付けたる考え方がなければ、もろくも崩されることだってあるのだ。

 

 

正しい考え方、正しい道筋の求め方、これをどこで学ぶか、学ばせるべきか。

結果ばかりを急いでいるから、途中でひっくり返されたり、混乱を生じることになる。足腰が弱い結果はもろい。