量より質か、質より量か

「量より質だろ」

そんなことを言っている者に限って、量の試練を乗り越えてきたものは少ない。

何かを大量に作ったり、大量に処理したりすることで、訓練されるという部分は確実に存在する。そういう工程は、たいていが面倒くさいものであり、手間がかかる事。だからそれらを避けたくて、「いや、たくさんやったって意味がない。量より質だ」と能書きを垂れる。

 

とは言え「量より質」という側面もある。

ダラダラと量さえこなせばそれでいいんでしょということでは、そもそも「量」が「質」を生み出す行為にさえつながらないことも少なくない。量を行うことで質的側面に気づいたり改善したりできるからこそ意味があるわけで、低品質な量を繰り返すことは、時間の無駄だ。質を考えた上での量をこなすことで、質が上がる。

 

そしてポイントが分かってくることで、初めて質を追求できるステージへと上がる。だがそれを身に着けたがゆえに、質はどんどんと高みへと登り、いくら作ろうとも、どれだけ慎重に質を追求したとしても、求める質が得られるのは、千に一つか、万に一つだったりもする。

 

面倒くささが質へと昇華されるやりかた。

質がさらに高まる質を追求する考え方に至る境地。

どの分野でも、どんな些細なことでもいい。一点突破できさえすれば、経験を踏んでいれば、たぶん人生で躓くことはなくなるんじゃないだろうか。