自分で選ぶ習慣

テレビが出来たことにより、映像コンテンツが向こうから押し寄せてくる世界が誕生した。みんなしてテレビに夢中になり、映画産業が相対的に廃れていく時代。

 

今はそういう番組構成すらなくなりつつあるけれど、昔はほぼ毎日に近い形で、映画をテレビで流していた。ペイパービューや、衛星契約などなかった時代だ。
自分で選んで見るのではなく、選ばれた番組で、たまたま見たいものが流れてくれば見る。
それ以外の時に我慢しているわけではなく、良いものがやってくればみる。その程度。人々のコンテンツに対するスタンスというのはそういう物だった。与えられたから見る。自分からがっついていかない。
 
ドラマも同じだ。あまりに流行の度合いが大きい時には自分から見に行くこともあるだろうけれど、いつしかそういう視聴率を稼ぐようなオバケ番組はなくなっていく。あの年末恒例の歌番組だって、視聴率の長期低迷からは逃れられていない。
 
よほど執着がなければ、自ら選ぶことはしない。
与えられれば見る、聞く。他にやる事がなければ、じゃ、とりあえず見てみるかと見る。
 
でも今は、テレビに限らず、ペイテレビ、ネットを通じた様々なコンテンツ、TwitterfacebookUstreamニコニコ動画、DVDだってほぼ自由に借りられるし、自分で見たい番組を、自分から選び出してみる時代。
ただし、それは自分が選べる、そして選ぶ手段を熟知しているという大前提があった上での話であって、それ以前の人たちにとっては、まだまだテレビはゴールドコンテンツの一種であることはいなめない。
 
ただし、あきらかに世代が移り変わりつつあるし、習慣が違って来ている。
みんなスマホでゲームする時代。みんなスマホでつぶやき始める時代。
自分で選べる人は、自分で選び始める。
マスの習慣が大きく変革するタイミングで、その波に乗れる企業は、そうはないだろう。