2000円

今日で冬期休暇が終わりだという人も多いだろう。…とそんなことを言い出せば、すでに正月三が日から働いていらっしゃる人がいるからこそ、社会が動いているわけだけれど。

 

正月と言えばお年玉、子供のころは、楽しみにしていたものの一つ。親戚の多い家庭がうらやましかったりもした。が、結局親からすれば、たいていの場合、親の金が還流してくるだけで。

 

あの親戚はいくらくれるのか、渡す方からすれば、お年玉にいくら渡すかというのは、ちょっとした問題だ。渡される年齢にもよるけれど、この価格も社会からの影響は免れず、デフレの影響を受けているのだろう。

 

日本人のメンタリティとして、「1」というのはさびしいと感じるのかもしれない。最大の1万円というのは、絶対価格として渡される相手に対して大きいのか例外扱いになっているようだが、(お年玉ではなく)結婚祝いでも、1万円より3万円、といった傾向が見られる。お年玉なら1千円ではなく3千円。それより大きくなると絶対値のフラグが立って、5千円という紙幣「1枚」になったりするのだが。

同様に、偶数という数字を嫌う傾向もある。「割り切れる」といった縁起を担いで奇数に落ちつけようとしたりする。

 

「絶対値」「1」「偶数」、こうしたことを考えると2の倍数というのは、扱いにくいのかもしれない。たとえば2千円札。1枚なら3千円より少ないなと絶対値で感じ、2枚なら偶数枚数、しかも4千円という4の数字は縁起が悪いと避けられたり。かといって3枚6千円は5千円より多い。

1千円札5枚で5千円のお年玉をもらう場面があることから想像すると、もしかするともう少し景気が良くなる、インフレが進んだ何年後化には、2千円札5枚で1万円というのもあるかもしれないが、しかしそこは1枚で1万円札、という別の価値観と競うことになるかもしれない。

 

と考えるとやはり、2千円札というのは不遇のお札。そもそも自販機でも不遇であり、使いにくいことこの上ない。

 

というわけで2千円札という単位は、日本のさまざまな要因からして嫌われているのかもね。

 

私はまだ過去10年ほどで、1枚しか手にしたことがない。