仕切りの突いたお皿

具体を望む人がいる。どうやら外国人に比して、日本人はそういう人が多いらしい。

 

抽象をハンドルできない人がいる。それって何?何の話しているの?という人がいる。ちんぷんかんぷんなんだそうだ。Aで考えるとこうでしょ?Bで考えるとこうでしょ?だから同じ話の「形」してませんか?そう考えるとその枠組みに当てはめるとCはこう考えられるから、次はこうなりそうだと予想できませんか?

 

そういう、「中身の入っていないお弁当箱的発想」、「あらかじめ入れる仕切りが付いたお皿」をイメージできないらしい。食べ物を取り去った後の器の形に興味がない、フレームワークが苦手らしい。

 

であるため、その仕切りの位置に名前がついていたり、仕切りをまたぐことに名前がついていたりということはもちろん理解できない。行為についている名前は、具象がそうする行動を見て初めて、それに名前が必要だということが想像できるようだ。

 

 

それが起きたらどうなるのか、他のものに当てはめればどうなるのか、他のカテゴリーに当てはめればどうなるのか?ほかの分野で同じような考え方はないのか?

こういう訓練は、たぶん進んだ高校、大学によって大きく左右されたりするのかな。そもそも、そんな抽象的な話が出てきた瞬間に、毛嫌いする人も少なくないんだけど。

 

でも、想像力ってのは、たいていの場合、そういう他に当てはめてみたり、他があてはまると信じて無理やりこじつけるところから始まることも少なくなくて。

そういうところに、躊躇なく突っ込める、逆に何か不可解だという意識のフックを持てることが、必要なんじゃないかな。どうすればそういうフックを気にしてもらえるだろう?