行き着くところ

企業が効率化を追求し、手間を減らし、無駄を減らし、無駄な人、成果を出していない人を減らし、効率化を極めて久しい。

企業に限らず、社会がそうした安さを求めている。

 

ふと足を踏み外して、安さにかまけて安全性、信頼を犠牲にしたような企業もある。まだ発覚していないかもしれないけれど、ギリギリで現場で回している人も、きっとたくさんいることだろう。むしろ現場の「その人」という人に依存して回っている現場の方が少なくないような気がして仕方がない。そしてその人の奉仕的倫理観のようなところに支えられている社会が、その人がリタイアしたり、身体をこわして現場を離れたりすることによって、徐々にシステムとして壊れていく。

 

一人の奉仕的働き手の行動をもてはやすことにより、資本家は、効果的な効率を手にすることができる。しかし、その倫理観がすべての働き手から消え去った時、どうなるのか?プロレタリアートの静かなる反乱に対峙した時、社会システムはどのような振る舞いに落ち着くんだろう?

 

景気がいいという、経済指標だけで判断していいのかなぁ。