環境が思考をむしばむ

以前はそういう環境にいた。たいへん聡明な方たちの意見が、忌憚なく交わされる場所。ただ、コミュニケーションにだって工数は必要。何らかの時間、何らかの成果を犠牲にして交わされる。だから、そうした会話ができる環境というのは、普通であるように見えて、非常に恵まれた環境であることが多い。

 

「学校」というのは、そういう意味で一つの理想郷でもある。勉学ののちのクラブ活動、サークル活動などで、志、思考を同じくする者が集いやすい環境が整っている。場所のみならず、豊富な時間がある空間。

 

しかし、いったん就職し仕事についた瞬間に、自分の時間を確保することに多大な努力を払わなければ、そうした活動ができないという環境の激変が生まれる。もちろん、それはまた違う人たちと集う機会でもあるのだけれど、なかなか学生のような時間、空間には恵まれないことが多い。

 

そういう環境に何となく浸っていると、そういう思考回路になる。あえてそういうことを考えたり、そういう環境に飛び込んでいくことがなければ、だんだんと錆びつき、切れ味も悪くなる。

 

環境によって蝕まれる。

そしてそれは、時には会社ごと蝕まれていることも。