「働く」ということ

すでに「正社員」というポジション自体に、ある種の階級的ステイタスが付きつつある現在。さらに言えば、名の通った会社の「正社員」、さほど有名ではないけれどそれでも会社の「正社員」というポジションで、暗にランク付けの意識が広がりつつある現状。

 

いくらデフレ解消だと言われても、そもそも賃金が上がらなければ単に生活が苦しくなるだけであり、まずは少なくとも正社員の賃金を、それに続けて、派遣労働者をはじめとする労働者の賃金上昇がなければ、景気が良くなるなんてのは、夢のまた夢だろう。

 

ところでその「働く」ってなんだろう?逆に考えよう。「働かなくても生きていける社会」なら、それでみんな本当に満足するだろうか?

毎日遊んで暮らせるなら、そんな楽なことはない…と思うこともあるだろうけれど、そんな生活で、満足できるだろうか?

 

誰かの役に立つ事、誰かの助けになる事、誰かに求められる事、いわゆる社会に承認される、そんな欲求を満たしてくれる、そんな活動をし始めたりしないだろうか?

 

時に暴れたり、力を振りかざしたりする輩もいるけれど、それとて「俺ってすごいだろ?見てくれよ!」ということの裏返しに過ぎない。どうやって認めてもらうか、どうやって認知してもらうか、その力の使い方がうまくないだけだ。

 

「生きること」と「認めてもらうこと」が、うまいバランスでつながる、それが多分「働くこと」だったりしないだろうか?時にそれが社会保障費が多すぎたり、税金が多すぎたりもするけれど、それでも何とか個々人でそのバランスを是正しながら回っている。

 

そんな「働き方」に果敢に挑み、新しい働き方を作り出そうと頑張っている知人がいる。また規模を少し大きくする方向に動き出していると聞く。

約1年ほど前、こんなことやりたいんだ、こんな会社を作っていくんだって話を聞かせてもらった。それを実現させつつあるその力と仕事量は半端じゃない。

たぶん、間違いなく成功するだろう。間違いなく大きくなるんだろう。