おこもりさまの情報摂取

昔もそんなときはあった。

大喪の礼、と言っても今の30歳以下の人には多分わからないだろう。天皇崩御し、日本は喪に服す1日に。テレビ番組はそのほとんど(ここがミソなのだが)で国民的葬儀を移す一日。

ただ、本当にみんながそれを見ているか?と言えば決してそんなことはない。皆ゲンキンなものだ。1時間も見ていれば(不謹慎ながら)つまらなくなる。もっと楽しいことはないのかとチャンネルをひねる。ない。どこも同じなのだ。

家を出たとしても、基本、ほとんどの店は臨時休業。国民的に喪に服している時に、楽しげな何かはやっていない。

外にも、家の中にも楽しみがない。ゲームも今ほど高性能なものが普及していたわけではなく、初代ファミコンが大人気だったあの頃。

 

人々はどうしたかというと、レンタルビデオを借り出していた。当時はVHS全盛時代。棚が空になるほどに皆が借り出した。家にこもって楽しむ楽しみ方は、その程度しかなかった。

 

 

関東地方は昨日1日、ずっと雪が降り続いた。豪雪地帯の人からすると笑われそうな数値だろうけれど、都会生活を送っていると、10cmも積もればさぁ大変な世界なのだ。

そんな中人々はというと、これまたみんなビデオを借り出した人がいるらしい。ある人によると、レンタルDVD店舗はすっからかんといった状況だったらしい。人によってはネット経由でオンラインで借り出した人もいるんだろう。

今は以前の大喪の礼の時とは違い、ネットが通じている家庭が大半。また、録画機器も以前のようなテープ交換式ではなく、HDDに何日分、何十時間分も録りためてまだ見ていない内容が詰まっている。ここぞとばかりに見るチャンス。

 

でも、そういう日であったとしても、やっぱり先に見たいもの、後回しにするものが出てくる。あ、こっち先に見よう。これ、一気に見ちゃうか。

そんな絶好のチャンスの時でさえ「見られなかったコンテンツ」はいつ見られるのか?多分見ないんじゃないのかなぁ?ずっと「いつか見る」つもりで、メディアの肥やしになってそのまま消えていく。

 

要するに情報過多で消化しきれない現代。いつかは必要になるかもしれないという恐怖に押されて情報を取るも消化しきれない。結果、「必要な情報から」という優先順位ではなく「取りやすいいつもの情報から」という優先順位で処理が進む。

twtterでつぶやきを見るのも、facebookで友達の状況をみるのも、LINEで雑談するのも、他の情報を取るばかりで自分で考えているだろうか?考える時間を持てているだろうか?

 

正しい順序、学ぶべき順序、消化すべき順序。判断できるものはいいけれど、すでにそれにおぼれている者は誰に学べばいいだろう。誰に教えを請えばいいだろう?消化せずに飲み込むだけでは栄養にはならない。身になるためには身になる取り込み方をしないと…。