どこまで民主主義足るべきか

人が二人以上いれば、当然ながら意見の食い違うこともある。それを、何かの力ではなく、理屈で、理由で、双方が納得できる落としどころを見つけるのがある種の民主主義。その「落とし方」にはいろいろあるのだけれど。

 

当然ながら双方一歩も譲らずに、意見が対立したままの状況ということもあり得る。解が見つからないというやつだ。どちらも自分のみならず、なんらかの立場を背負って発言している場合もあり、そうそうやすやすと相手の言い分をのむことはできない。なので議論としてもかみ合わなかったり、どちらもつばぜり合いを続けていたり。

 

同じことが仕事の現場で起こりうる。同じ社内、同じ部署内において、さまざまな意見が対立する。ある一定までは、きちんとそれなりに議論することは大切だろう。すべてにおいて上からの指示でなんでも決まるというようにするのは、それこそモチベーション低下につながる。

しかし、いつまでたっても結論が出せないというのは、それはその意見対立を深めている当人同士と言うよりも、その一つ上に責任がある。いつまでもそれを争わせている、議論させている暇など普通はないはずだ。どこかで決着をつけねばならない。選択をし、物事を前へと進めなければならない。

「どうしても当人同士では決着がつきません。双方の意見を述べますので決めていただけませんか?」という申し出にきちんと答えない、差し戻したりする上司がいたとすると、それは責任逃れであり、役割逃れの可能性が非常に高い。いや、決めずにずーっと争っていてもいいのならそれはそれで一つの選択肢だけれど、そもそも当人同士では決まらないので決めてくれと上に願い出ているのに決めないのは、上長の役目を果たしていないだろう。こんな時に民主主義とか持ち出そうとするやつもいるが、会社内において民主主義ってなんですか?ってな具合で、ちょっとお門違いも甚だしい。責任逃れをしたいだけと言うのが透けて見える。

 

管理職と言う役職が付いた瞬間に、常に判断が求められ、それについての責任が付きまとい続ける。もちろん、すべてに正しい判断が下せる保障などない。だからこそきちんと情報を上げさせる権限もついているはずだし、間違っているとわかった瞬間に、朝令暮改をする場合もあるだろう。

でも、あなたは民主主義と言う言葉をそこで使うべきじゃない。それは単なる責任逃れの口上だったりしないか?