抽象化する力

WindowsXPのサポートが切れた。とはいえまだ「俺は大丈夫」などと言う根拠のない自信とも言えぬ理由を盾に、使い続ける人がいる。

 

WindowsXPのサポートが切れ、中高年が新しいOSについていけなくなっているなんていう記事が躍る。もうここ10年以上、このWindowsに慣れちゃっていたってことだろう。

 

そもそも、どうしてその操作をしなければいけないかが分かっていない。

「○○ちゃん、あれ、ファイルにするのってどうするんだっけ?」

こんなやりとりをスタートとして、やれ数字に切り替えるのは、いつものあのメニューがどこかに消えた、○○につながらなくなったぞ?などなど、パソコンにまつわるトラブルに関するすべてを、概念を理解せずに、その場の対処法だけを覚えて来た世代は、システム切り替えと共にあっさりと置いてけぼりをくらう。

 

当然ながらそういう人は、スマートホンだってよくわからなかったり、タブレット端末の事も詳しくなかったりする。未だに円盤状のメディアは全部CDだと思っている人も残っていたりするんじゃないだろうか?

 

物事を抽象化して理解するという能力に長けた人は、1を聞いてまさに10を知る。10種類の応用の効かせ方が分かるからだ。同じことを、スマートホンでも、パソコンでも、タブレット端末でも、それぞれ向けに別々に覚えるということは、そもそも概念を抽象化できていない。いや、教える方がそもそも抽象化できていない人だったりすることで、抽象化できない人をどんどんと増やしてしまう。ある意味で悪い連鎖も生んでいるかもしれない。

 

ある意味効率を上げるためには、こうした抽象化に長けた人物をきちんと登用する、きちんと待遇する。それこそが作業の効率化であり、仕事の効率化であり、さらに言うと、そう考えることで、一見直接的にはなんのつながりのない物事が、実は同じアナロジーでつながり、新たな展開を生むことだって稀ではないのだから。