安定の魅力、変更の魅惑

今うまくまわっているのに、それを変える必要性は普通はみじんも起きない。

それより新しいものに変える理由はこちらにはなく、そちらにある。

そっちの理由でわざわざ変えたい、と言われても、さてこちらで今やっていることが、「全部」うまく移行できることを保証してくれるのか?
もちろん、そちらはそちらでいろいろと検討を重ね、テストを重ねていたかもしれない。


しかしそれでも、これほど膨大に広がったベースにおいて、すべてがうまく移行できる事は保証しきれない。場合によっては、イレギュラーとわかりながらも現状でなんとかうまくシステムを作り上げている人もいるだろう。

そして人は、そうしてうまく回っているモノに順応していく。それが楽であり、それが効率的であり、効率的であるからこそそのほかの事に力を回せたりする。

それを、新たなモノに変更しなければならないのは、場合によってはブレーキを踏むことになる。ある部分は、もしかするとアクセルになるのかもしれないが、部分的にブレーキになることは否めない。そしてそれは、より弱いところに集中しがちになる。

 

べつにこれは、パソコンのOSに限らない。
社会システムだって、社会ルールだって、国のルールだって。