抽象化する力

Aの話を聞いて、あぁそれはBのカテゴリーにおいてはこのようにあてはまるかな…とか、Cの分野においてはこういう風に理解できる…という力。一般には、物事を抽象化して理解できる力、みたいな言われ方をする。

こいつができると話の理解度が一気に深まったり、抜けている部分がなんなのか?なんてのが比較として見えたりすることもあり、そこを追求してみようという興味につながったりする。

 

ところが、こういう理解の仕方ができない方もいる。あなたの身近なことに置き換えてみると…と例示されなければ理解が深まらない。
もちろん、オリジナルの話の方でどれほど抽象度を上げて説明されていたかにもよるのだが。

 

考えてみると、複数段階のレベルを超えられるかどうかとなるわけだから、確かにハードルが高い。

演者が
 「Aと言う話をする。」
に対して、
 「その話が抽象化/一般化するとどうなるか?」
 「その抽象化/一般化があてはまる、自分の周りの事象はなんなのか?」
 「あてはまった自分の周りの事象において、その次に何が起きると想像できるか?」
という3段階を超えて初めて、その内容を自分事に当てはめて消化できる。

 

講演などを聞くことにより、「Aという話をAの話」としてのみで聞くことは、自分が知らなかった世界を広げる事にはつながるが、自分事としてはメリットが少ない。だが「Aの話を自分事として理解する」というところにまで至ることができれば、非常に有益であり、付加価値が高い。

 

…と見てみると、付加価値を生むことを「講演者」に頼むというよりも、「自分」でできた方がよほど自分のためにもなり、密着度合も高くなる。
付加価値は、自分で生み出しているのかもね。