コンテンツを楽しむのか、コンテンツで楽しむのか

ネットがここまで普及する以前の話。たぶん1995年より以前くらいだろう。まだテレビがメディアの王者で、毎週のドラマが皆さんの話題に上ったり、テレビの情報バラエティ番組が、大きな情報収集源だったころ。

そうしたテレビを見て、次の日には、友人と、彼氏/彼女と、それを話題にした。
「ねぇ、昨日のあれ見た?」
「あのドラマ面白いよね」

当然ながらその当時は、テレビの視聴者側からテレビ番組への反応は、手紙かファックスという手段がそのメイン。だが、たぶんそうして応答していた人は、ほんの数%にすらいたらなかったのではなかっただろうか?

 

時代は変わって21世紀。2001年を回った昨今では、少なくとも日本においてはケータイ電話の普及率がうなぎのぼり。それにさらに環をかけて、昨今のスマートホンブームで、誰しもがネットに簡単にアクセスできる手段を持てる今日この頃。
であるがゆえに、わざわざテレビで見なくても、自分が捜したいと思った時に、手元の端末から何かを検索してその情報を手にする、と言う事が可能になった。
それに加えて、昨今ではSNSTwitterのような仕組みが広まり、ユーザーからのコンテンツ提供者への情報フィードバックも楽になった。


ユーザーからコンテンツ提供者に対してのフィードバックが楽になったことで、「コンテンツを楽しむ」人の満足しているかどうかの情報は取りやすくなった。
でも、ユーザーは「コンテンツ“を”」楽しんでいるという側面と同時に、「コンテンツ“で”」楽しんでいるところもある。

前者は、コンテンツそのものが面白い事、興味深い事が最重要課題。であるがゆえに、そのモノ自体がよくなければ意味がない。
しかし後者は、コンテンツそのものは単なる情報であり、ネタ、フックに過ぎない事がある。
「ねぇ、昨日のあの番組で出ていたあの店、今週行ってみない?」
番組自体はどうでもよく、情報としての価値しかなく、そしてそれは友人同士、仲間同士の話題になればそれでいい。

 

うまく分類しきれていないけれど、こうした違いをきちんと見据えてコンテンツを作っている人、コンテンツのその後の展開、導入をイメージしている人達が、そうした流れをつくることで、コンテンツを作り分ける事、目指すところがきちんとより分けられている必要があるんじゃないだろうか?

どう楽しんでもらえるのか、どう利用してもらえるのか。
提供する自分が楽しければいいというのならば別だが、そうでないなら、そのあたり、どこまで意識が行き届いているんだろう?