写真の共有と、ある実態

facebookをはじめとするSNS上で、写真を共有する、というサービスで楽しんでいらっしゃる方、少なくないだろう。

料理の写真を上げる人もあれば、友達との歓談の写真を上げる人もいる。
ただこんな経験をしたことはないだろうか?あぁ、これ、写り悪いんだよな、こんなの載せてほしくないなぁ…。

 

とあるところでこんなやり取りがされている、と言うのを聞いた。
そうした集まりで写真を撮るのは、今では当たり前。そしてみんなでわいわい言いながら、写真を撮りあう。
そこで撮った写真を、こんなのが撮れたよ、私はこんな感じ、と見せ合い、“その場で”皆でシェアする。単に見せ合うのみならず、写真のデータを送りあうらしい。
すると、シェアされた中で、次は「修正組」が動き出す。お得意の修正ソフトを使って、シェアされた画像をトリミングしたり、明るさを修正したり。そうして気に入る映像にできたところで、再びその場のみんなでシェアする。
こういう分業体制になるのは、人それぞれ、特異なところが違う、というのがそのまま表れているらしい。写真を「撮る」のが得意な人。構図や明るさ、フォーカス等々をうまく合わせられる人とそうではない人。それは得意な人に任せる。そしてその次は「修正/加工」が得意な人。いろんなフィルターやデコレーションがあるけれど、それをうまく使いこなせる人もいれば、そうではない人もいる。そこも得意な人に任せましょうと。
そうして出来上がった、みんなで納得できる写真を決め、“それを”SNSに上げるのだという。自分の写りの悪いのは認めない。きれいに加工されたモノのみを載っける。(場合によっては、その他のモノは、その場で削除なのだとか)

 

なぜそうまでするのかと言うと、気に入らない写りの物を、他人の写真の中においても、自分の映像を残したくない、発見されたくない、という思いが、このような取り決め?行動につながるらしい。ま、分からなくもないのだが…そこまでしなければならないモノかと…。