プラットホームははるか遠く

ものがいきわたっていない時代ならともかく、そもそも現代の日本では、モノがあふれている。片付けられない人、モノがあふれかえっている人などが取り上げられる日々。

であるがゆえに、人々の「欲しい」はどんどんとディテールに凝り始めることにもなる。
そうなれば当然、万人が欲しいという製品よりも、一部の凝った人たちが欲しがる製品という作りに入り始める。それは大量生産とは至らずに、多品種少量生産へと移行すべき作りへ。

 

それまでなら、一つ一つの製品を作りこんで出していたようなカテゴリーであったとしても、これからは、その作りこみはユーザーそれぞれのお好みにお任せする、という作りに。
とは言え、その部分で付加価値を出していた会社、儲けを生んでいた会社は、そこでもお金を取ろうと作りこみ部分での課金の仕組みを作ったり。それが、iTunes Storeであったり、Google Playであったり。

 

さらに言えば、そうした基盤の根本となるモノづくりは、モノのプラットホームを抑えることが必要に。片やiOSであり、片やAndroidであり。戦略の取り方はいろいろあるモノの、どちらにせよプラットホームを抑える事、コントローラブルな立場にいることこそが力(ちから)。
10年前にそれを目指していたはずの企業群は、凋落傾向がはげしく見る影もなく。分かっていたとしても、とてもそんな戦略を取れるだけの体力もなく。

トップの戦略ミス、運営ミスというのが、ここまで致命的になることに驚くとともに、誰を信じ、何を信じて推し進めるかと言う難しさを痛感する。

 

今から10年後、どうなっているのかな。
残っている企業、今と同じ仕事をしている人々は、どのくらいいらっしゃるだろう。