メッセージの送り先

シャーロックホームズだっただろうか?新聞の求人広告欄に、不可思議なメッセージが載っているのを発端に、事件が始まるなんてストーリーがあったような気がする。要は「求人」が目的ではなく、それ以外の誰かに向けてのメッセージを発しているという、そんな使い方が、当時の私には新鮮だった。

 

私が経験したわけではない。以前読んだエッセーの中に、このような内容の文章があった。
「デパートの地下食料品売り場で、売り子のアルバイトをしていた時の事。売り物の商品を、これがいいですよと声を張り上げる。しかし、ただ声を張ったところで売れるものではない。そこで私は、近くに興味を持っていそうな、お客になりそうな人がいるのに気づいたら、“そのお客とはわざと違う方に向いて”その商品の魅力を語ったと言う。安いですよ、おいしいですよ。すると数秒後に、気にしていたであろうその顧客が寄って来る。そこで丁寧に説明をして売った。それを見ていた隣の売り場の店員さんから声をかけられた。“お、うまいねぇ!”」

 

自分に向けて直接言われると、引いてしまうことがある。いまさら何をとか、そんなことわざわざ言われなくたってといった愚痴にもなるだろう。

しかし、自分に直接ではないけれど、自分で思い当たる言葉が頭上を飛び交うと、それ相応に気になるもの。あぁ、やばいやばいとか、おっと、そういや私もそうだぞ…なんていうことで思い出してそそくさと手を打ったり。


メッセージの発信者として狡猾な人ほど、そういう手練手管に長けていたりする。あなたに対して直接語られていないそのメッセージは、実はそういう形で「あなたに語られている」場合があるのではないだろうか?

そしてそれを「あなたに語られている」として自分ごととして改善したり、反省したりできるか?いやいや「俺には関係ないね」と看過してしまうのか。実はそれこそが「見られている本質」であったりする場合は少なくないのではないだろうか?


コミュニケーションと呼ばれているものは、すべてがすべて、自分に向けられているベクトルが、必ず見える形になっているか?というと、そうでもないこともあるんだよね。人の振り見て我が振り直せ。

コミュニケーションに長けているそんな人にやられたら、イチコロなんだよね…。