「女性登用」という誤り

なかなか管理職に女性が登用されない、女性の比率が上がらないなんて言う数字が上がってくる昨今。

ただ、どうしても「女性登用」という字面に踊らされて、本質を見失う人もいる。もしも同じレベルなら、男性よりも女性を…なのだろうか?

 

そもそも、「女性を」登用したいというのではなく、「できる人」を登用したい、というのが根底にあるはずだろう。でなければ、今「男」が占めているポジションを、すべて「女」にすべきだが、そうではないはずだ。

一言で言うなら、優秀な人を登用したい、と言う事に過ぎないのではないか?

 

しかし、これも誤解を招く。今現状の指標である「優秀な人」というのは、男性優位の社会基盤において設計されている“ものさし”で測った上での「優秀」でしかない場合がとても多いからだ。

 

だとすれば、そもそもの“ものさし”が狂っているうえで、いくら女性を登用しようとしたところで、それは基準の値に沿わない人を採用している…ようにしか見えないとも限らない。それは周りからすれば、なんであの人がという誤解すら生みかねない。

要するに、ただしく評価する“ものさし”がきちんと示されていないのに、その示されていない“ものさし”に沿った人事を先に行うことにこそ無理がある。
それは一つの組織だけでもないだろうし、一つの会社だけで解決できるものでもない。どちらかと言えば、ひとつのムーブメントに足るほどの動きが必要なのだろう。

 

そうなれば、男だろうが女だろうが関係ない。人をいかにきちんと評価するか?できるか?そしてその基準はなんなのか?ということにシンプルに集約されるはずだ。

ただし、既得権を突き崩すのは、どこでも容易ではないのだが。