その結論の前提

小学校の時。物事を決める手段として、「では多数決を取ります。みなさん、賛成の人は手を上げてください。」「反対の人も手を上げてください。」「賛成○人、反対○人。賛成多数なので、こちらのやりかたでいきます。」

という手法を学んだ。

子供心に、あぁ、多い方が勝つんだ…ということを知る。

 

しかし、これには大前提がある。その賛成/反対の事象に関して、事前に“徹底的に議論”を尽くし、その意見を理解したうえで最後の決に至る、というのが原則のはずだ。
が、小学生にそんな議論の徹底などと言ったところでなかなかわからないだろう。形骸化した議論が宙を舞う。小学校レベルでは、教師サイドの思惑もあったんじゃないかとおもう。なので、結果記憶に残ったのは「多い方が勝つ」と言う事のみ。形式的な議論の時間が意味なく過ぎる。

 

その思いは中学でも高校でも是正されることはなく、何となく社会人へと至る。

 

社会へ出ると、議論が対立することはそこここにある。会社の中で、組織の中で、地域自治体の中で、子供の学校のPTAの中で、さまざまな意見が対立する。が、徹底した議論がなされた上で多数決を行うなどという理性的対応、前提をきちんと踏まえた対応ができるように、その場を仕切る人は少ない。また、そうして徹底的に議論しようとしたところで、「んなもの、今すぐ多数決だ!」と、議論すら必要なく、数の力で押そうとする人も多い。

 

これを正しく是正するのはどのレベルの教育なのか?
いやいや、各家庭なのか、どこかの学年での授業なのか?
親の役目なのか、教師の役目なのか?それとも??