言葉と絵、論理と抽象

とある頭の切れる方とお話しする機会があった。物事をズバズバと切って、本質の中心をしっかりと突きつつ、しかし簡単な説明でそれらを明らかにするその話しっぷりは、聴いていて気持ちがいい。

 

そんな中、論理構成を構築する上で、面白い話になった。
彼はいわゆる理系(機械系)なのだけれど、いわゆる理系/エンジニアは、そうした論理構成を「図」で理解し、画像として理解すると言うのだ。
機械系ならご存知だろう。図面で成り立ち、そこから機械が作られる。物理的に存在する形でモノが出来上がることこそが必須のその学科。

 

その対極にあるのが、弁護士だという。彼に言わせれば、弁護士は、「言葉」で理解すると言うのだ。そりゃそうだろう。六法全書という言語で構成された法体系は、てにおは一つの違いで大きな穴を生んだり、一つの事象に二つの解を生成しかねない。そうあってはならないからこそ言葉には非常に気を使うはずだ。
私は見たことはないのだけれど、そういう弁護士のプレゼンテーションは、一面、箇条書きされた文章が、ずっと続くらしい。

ちなみに、理系であっても文章のみで構成されたプレゼンテーションが続くのは、時間がないからと言う事が多い…。

 

ただ、純粋な情報系、ソフトエンジニアはもしかするとその中間ではないか?とも想像する。
ソフトウェアエンジニアのみなさん、いかがですか?