迎合

「いいもの」が好きな人は多い。

友達がいいと言っているから、テレビでおいしそうに見えたから、読んでみたらおもしろそうだったから、触ってみたら心地よかったから。なんとなく「いい」という感覚に響いたものを「いいもの」として手に入れたり、購入したり。

 

しかし、そうして手に入れたものでも、いつかは飽きたりする。
自分が好きな料理でも/ものでも/コトでも、三度三度、毎日全く同じものを提供されてしまえば、たまには違うものにもふれてみたいとさえ思う。

どうしてそれが「いいもの」なのか、何がいいと思っているのか、自分のことがきちんとわかっていないのに、「もの」に当たってもしょうがない。

 


人は、自分の行動を外から俯瞰することで、自分を知ったりすることがある。が、それをおろそかにすることで、そもそも自分自身が分からずに右往左往してしまう。
誰かの意見に迎合しているという意識がなくても、なんとなくそれに賛同したつもりになって、それを手に入れたり、それに触れてみたり。でもやっぱりおもしろくなくなって、「いいものではなく」なってしまう。
本当に「いいもの」を知るには、自分を知る努力なしには知ることができないだろう。それは、何がいいのか言葉にしてみたり、具体的に表現するくらいしかやり方を知らない。
いや、そうすることができないとしても、迎合しているんじゃないかな?と意識することで変わる小さな部分もあるだろう。


言葉に出していってみる。
すると、本当に何がいいのか、何に価値を見出しているのかが、少しずつでも見えてきたりする。
それこそが、自分の価値観であり、幸せのカケラになりえるもの。