それは「取り崩し」ではないのか

新卒という就職機会が相変わらず取沙汰されるけれど、すでに終身雇用というシステムが崩壊し、中途採用が当たり前の社会に日本も変わりつつある。

中途採用の何がいいかと言って、過去の経験をそのまま使って、いきなり仕事が立ち上がってくれるその効率の良さと言ったらないだろう。特別に仕事を教えずとも、特殊なトレーニングをせずとも、自社の事業に貢献してくれる。
簡単な事務作業ならまだしも、特殊な能力も求められる。プログラミング能力などと言うのはどこも逼迫していて、ちょっとした経験があるだけという、本来的に能力があるかどうかも分からないような人であっても採用されたりする。求められる人が偏っているということだろう。


そうして世間は即戦力を求める。
すべての職場で、すべての仕事で、即戦力を求めるとするならば、さて、人が育つシーンと言うのはどこになるのだろう?次の世代の人は、どこで育てばいいのだろう?
「うちでは人を育てている時間も余裕もない。すぐに役に立ってもらわないと困るんだ!」

もちろん、そういう会社は少なくないのは知っているが、すべての会社がこう言いだしたらどうなるのか?いわば、苗から育てずに、すぐに実のなるところになったものしか面倒みませんよということ。


ちょっと学んだビジネスマンや、数学好きの学生ならば、囚人のジレンマという事象をご存じだろう。自分だけがズルをすると大きな利得を得るのだけれど、みんなしてそのズルをすると、結果としてみんなで損をする。
だからと言って、自分だけまともに行こうとすると途端に自分だけ大きな損をこうむるので自分だけで是正したところで意味はない。なかなか抜け出せない事象

でも、いますでにそういう形で本来、ここから5年後、10年後に育つべき場所から利得を得ている状態になっていないだろうか?そうした先の成果は、今の努力があってはじめて、何年か後に華が咲く“こともある”程度の確率だろう。だが、そうした先の才能を使って/取り崩して、今をしのいでいる組織があちこちに存在する。

 

みんなして、一丸となって、囚人のジレンマを抜け出すことができれば。とても大きな利得を得られるはずなのに。