偏り

以前所属していた会社は、そこから生み出される技術も商品もユニークさや技術力の高さは、外から推して知るべしという状況だった。そういうこともあって、当時、人事にうかがってみると、確かに人の性格や心理分類的に、大きな偏りがあると言う事があったというのを聞いたことがある。

 

今、新しい仕事において、さまざまな企業にうかがう機会がある。これがとても興味深く、いろいろと面白いものが見えてくるのが楽しみの一つになっている。やはりその企業のカラーが見えると言うか、人の性格、傾向などにカラーが表れている気がしてならない。

何でも軽く発言して物怖じしない社員が多い会社。すべておとなしく、言われるがままに吸収する社員が多い会社。聞くには聞くもののとは言え斜に構えて疑り深い会社…とうとう、まさにさまざま。

 

もっと言うなら、それらを取りまとめている上長や担当者の振る舞いひとつでそれらチームの行動や態度に微妙に変化が現れるのも、これまた面白い。
人と言うのは、個であると同時に、集団での動きはやはり、そこを取りまとめる上長の行動、意思、采配に大きく影響されるのだなぁというのを実感する。
偏った人々が集まることで、大きくそちらに偏った考え方、偏ったもの、サービスが出来上がったりするけれど、それが時代にフィットするかどうかは、ちょっとしたリーダーの采配によって極端に変化したりもする。

 

偏りが悪いというよりも、ナビゲータや最後のフィッティングですべてが決まったりする。一見、正しく物事が進行している時には、何も生み出していないかのように見えるリーダーの役割だが、その方向性、指針、決断等が間違った時には、実は大きな暗礁に乗り上げている。そして、現場を混乱させている。