求められているもの

目の前におぼれている人がいるとするとしよう。助けてくれと目の前で叫んでいる。あなたはどうするか?

「そもそも泳法とは」と、そこで泳ぎを説く人はまずいない。紐や浮き輪を探して、いますぐ助けになるものを投げ入れてやるのが、当然の行動だろう。

 

これから湖に釣りに出る。だが泳げないんだ、どうしたらいい?ここで指南を求めてくる人には、万一の時に助かるためには、器具や技術/泳法を身に着けて…と助言を与えるだろう。その人に向かって、浮き輪を投げつけるなんて意味の分からないことはしない。


これは、「リスク」と「課題/問題」の認識問題だ。

 

仕事の現場からのヘルプの連絡入る。現場に入ると、実担当者からの切実な声が聞こえる。助けてほしい。こんなひどい状態だ。何をすればいい?
そもそも仕事の進め方は…と、「そもそも論」をそこで唱えられても現場はうんざりだ。そうではなくて、今すぐ、手を差し伸べて助けてほしい。

 

だが、新しいプロジェクトにおいて、万が一の時の事を考えると、ここ、やばそうなんですよねぇ。とアイデアを聞かれたら?その時には、「そもそも論」で答えるべきだろう。事前に対処すべき対策や、そうなった場合に備えて準備しておくべきことを伝える。

 

リスクと課題をはき違えると、現場から嫌われる。
信用すら失うこともある。