いい人に巡り合うこと

ビジネスインタビューや私の履歴書的読み物を読んでいると、時々出てくるのが、「私はいい上司に恵まれていた」というやつではないだろうか。

 

今にして思う。良い上司に巡り合うのは難しいことだと。
これまでの私の上司だった人は、そのほぼすべてが、少なくとも私にとっての良い/ベストの上司ではなかった。一本筋が通っているということもあまり見えなかったし、私を含めて部下をおもんばかるような言動も記憶にない。いや、私が気付いていなかっただけかもしれないが、少なくともそういう印象なのだ。

どちらかと言うと、いかに社内においてのし上がるか、自分の立場をアピールするかということをイメージしている人がほとんどで、会社は関係ない自分の信念とか、立場とは関係ない自分の思いというものは、ほとんど感じられなかった。何かこぢんまりとした思いにのみ動かされているような人に見えると、興味が失せてしまうのだ。

 

とは言えその会には感謝している。なぜなら、多くのそうした自分の思いを持つ人、考えを持つ素晴らしい人たちと、たくさん知りあうことができたから。そこは素晴らしい場だった。今でこそかなりの窮地に陥っているけれど、あの場に集った人たち、ある意味癖のある特殊な人も少なくなかったけれど、とても良い刺激し合える環境があった。その人たちの一部とは今でもネットを通じてつながっている。便利な時代になった。ありがたい。


いい人に巡り合えると、その後の人生において、いろいろな刺激を与えてもらえる機会が増える。自分が知らない分野だったり、不得手な分野だったりしても、そうした人が発する新たな信号や情報は、とても刺激になり、次への何かを生み出すトリガーになりえる。その意味からだけでも、いい人と知り合える、いい人脈とつながりがあることはとても人生を豊かにしてくれる。
でもこうした人脈なんてのは、口を開けて待っていたところで、誰かがコネクションを結んでくれるモノではない。「できない」「あえない」といって愚痴を言うだけ、ジタバタしていても、何もつながってこない。
誰もつなげてくれないなら、自分からつながりに行くしかない。そうして積極的につながりに行っている人は、失敗も多いのかも知らないけれど、いいつながりを持っている。
よい人に巡り合うってのは、エネルギーのいる事なんだよ、きっと。