ギャップ

今同じ状態にあるところにエネルギーを注ぎ込み、ギャップを生む。エアコンがそうだ。一体が熱い空気で満たされているところにおいて、より熱い空気を一部に寄せて、一部を涼しい空気で満たす。冷蔵庫もそうだ。エネルギーを注入して、内部を低い温度に保つ。

 

逆もある。ギャップをエネルギーとして取り出すことだ。中学校のころに学んだであろう「イオン化傾向」などは皆さんご存じの通り。これが電池の基本的な原理。

 

誰もが等しく同じ給与だったり、誰もが等しく同じ大きさの部屋、同じ環境に住んでいるとするなら、誰も努力や工夫などしないかもしれない。けれど現実はそうではない。よりお金持ちになりたいとか、よりよい生活をしたいといった理想と現実とのギャップがエネルギーとなり、新しい物や仕事を生み出す。
ただし、それはそのギャップが是正できるだろうと想像できたり、仕組みがあったりすればこそであって、いくら努力したところで何も変わらないということが浸透してしまえば、誰もそうしたことはしなくなる。最低限の活動で抑えようとするだろう。

 

為替も株も、ギャップで儲けが出たり損が出たりする。それはその企業や国の思惑や努力と、それを周りの人はこう思うだろうと予想する思いがギャップを生み出す。
とある国においては、わざわざそうしたギャップを国内に創り出すことで、経済を回そうとしていたりもする。その一方で、行政は人々に平等を説いたりもする。

 

とするとやっぱり、結果としての平等など夢物語なのはすぐにわかる事。機会としての平等しか、あり得ないだろう。