手続きと理屈

ご年配の方々がパソコンを使うところを見ていると、要するに理屈がわかっていないと思われることが少なくない。

彼らは、Aの次はB、Bの次はC…という手順/手続きで物事を覚えよう/理解しようとしているように見える。だから学ぼうとする人の多くは、操作を説明するとそれを手帳やノートに書きとる。…のだけれど、それはあくまで手続き。パソコンの画面上で、「正しく」状況が設定されればそれは成立するが、そうではないことがほとんど。

 

正しく状況が設定されれば。それは、マウスのカーソルが発する情報を見極めている必要がある。マウスカーソルがどのような形になっている時にそれが効力を発揮するのか?オブジェクトの上、メニューバーの上、オブジェクト境界線上の上、選択されたオブジェクトの上等々によって、その形はさまざまに変化する。テキストなどには載っているのだけれど、それを見ることの重要性があまり強調されていないようにも見える。それよりも場所と手順(メニューの位置と、それを選ぶ順番)のみを理解しようとする。

 

現実世界であったとしても、単純に手順だけで成り立っていることはまずほとんどなく、もっとも卑近な例としての「料理」であったとしても、「状況を見た上での手順」を踏襲しているはず。だけれどどうしてもそれら状況判断が抜けがちになる。
正しく選び、正しい位置に配置すれば、そこではじめて正しい手順で進める準備が整ったことになる。

が、世の中の為政者にせよリーダーにせよ、そもそもそうした手順が進められる状況を見極められていない人がワンサカいるわけだが。