満足度は誰が生み出すのか

本を読んだり、講演を聞いてみたり、映画を見たり。何でもよいのだけれど、面白かった、とてもためになったというものがあったり、これはつまらなかったという差が生まれる。

全く同じ講演をたとえば100人が聞いていたとしても、それを受け止める人によって、その満足度は変わる。20人が大満足で60人が満足だけれど、10人は面白くなかったとコメントする。
…ということは、ある意味当然ではあるけれど、提供する側のコンテンツのみで満足度が決まると言う事ではなく、受け止める側の姿勢や情報、興味や前提知識が、その満足度に大きく関与しているだろう。

 

もちろん、それら受け取る側の前提知識の量や、興味にあった情報レベルが、受け取る側として粒がそろっていれば全体の満足度レベルは均質化するだろう。
しかし、そのためにはその講座自体が提供してくれる講座内容のレベルを、正確に受け手が知る必要があり、それを正確に知るには受講するしかないということになったりもする。

事前に学びすぎて/というかそこまで学んでしまったら、そもそも受講する意味がない。
しかし学ぶ気が無かったり、興味が無かったりする場合、そもそも受講したところで当然面白くないだろうし、満足度は当然低い。

 

学ぶタイミングと、そこそこの興味と。そしてそれにフィットした講座やコンテンツの内容があれば、満足度は非常に高まる。
でも、その自分のレベルは自分にしかわからない。それは、受け手である自分と、提供する側の自分と。