知る事と使える事

知っていないことはできない/使えない。

でも知っていたとしても、すぐ使えるとは限らない。
ましてや、うまく使えるようになるには何年もかかったりする。

そのためにはまず、知らなければならない。
知っていて使わないのは「決断」だが、知らなくて使えないのは「怠慢」だ。
そしてその上で、うまく使えるように練習しておかなければならない。

 

使う機会がないから練習の機会がない
これに限らずこういう人は多い。
だが、いざ使う機会になってあわてるのも、やはりこういう人たちだ。
使う機会がなくても、その重要性に気が付いている人たちは、どうにかしてそれが使えるようになっているように、訓練する工夫を施す。練習題材を作ったり、部分的な利用であったりとやり方は様々だが、どうにかして「練習するための工夫」を検討する。

 

他方、そういう機会が与えられるのを待っている人もいる。だがそういう場合の多くは、「与えられないのは自分の責任ではない」というスタンスを取る。
いや、それもあなたの範疇に入っているのでは?

何でも完璧主義の人がいる。最初から“行う環境が”完璧でなくては満足できない。
しかし、そういう場を与えたとしても、それが「完璧に使える」ことはまずない。

 

完璧に使えるためには、不完全な場からでも練習が必要だ。
いざという時使えるために、本当の本番で使えるために。
本番のために、完全を用意せよ、ということの意味を噛みしめたほうがいい。