育てる余裕を捨てた時

自分がやれば早いんだけど、新人にやってもらう。時間がかかる。

やっぱだめだわ。自分でやらないと回らない。
 
言うまでもないが、それでは、短期的視点ではいいかもしれないが、教育の機会を奪い、成長できなくなり、やがて行き詰まる。
この仕事では、この瞬間では最適なのは「自分でやってしまうこと」かもしれないが、長期的に見れば最善ではない。
 
陸上競技で○百メートルリレーと言う競技がある。バトンを次々に渡し、次々に走者が移っていく。ただ単に一人が走って競走するという種目もあり、そもそも個人的能力、人種的能力では日本人は体格的に不利であったりするというのはほぼ誰もが感じていることではないだろうか。
しかしそんな競走であっても、リレー競技では日本が勝てる余地がある。それは、次々にうまくバトンをリレーする、そうした連携に妙があるからだ。
 
自分さえ早く走ればいい。それが寄せ集まれば、ある一定以上のレベルには達するものの、ある限界を突き抜けることは出来ない。受け渡しの場面で手間取ったり、不手際があったりすると、途端にその遅れは今まで稼いだ分以上のメリットを打ち消してしまう。
個別にはそんなに秀でていなくとも、あるレベルの人々が集まり、その連携作業をとてもうまくこなすことによって、世界と競うこともできる。
 
でも、その連携作業にも時間と手間が避けないくらいに、ただ自分が走ることで精一杯に力を搾り出さなければならなくなったら、そもそも連携することすら難しくなる。
 
そこは力として効率化してはいけない部分。チームがカバーしてやらなきゃいけない部分、個人に押し付けてはいけない部分。