完成すれば

誰もが完成を目指す。

工作でも、ホビーでも、料理でも、趣味でも。

ここまでできれば完成。

競技でもゴールを目指す。100m走、マラソン、駅伝。それらすべてにゴールがある。

 

でも「ゴール」ってなんだろう。

そこに到達すればもう終わりなんだろうか?

「ゴール」でみんな誰もが満足できるのか?

いや、それまで走ってきた、作ってきたものをいったん取りまとめる、それだけではないだろうか?

「もう少しやりたいな」と思ったことないだろうか。

「もうちょっと時間があれば、もっとよくできるのに」

 

たぶん、真の意味での「完成」となるならば、その先はもうない。すなわち終焉、究極。それ以上にはなりえない高みにあるということ。

でもたぶん「ゴール」はそうじゃない。「完成」ではなく「一区切り」に過ぎない。競い合い続けたらそれだけで終わってしまう。なので「この一区切りで判断しよう」という区切りに過ぎない。

ゴールは終わりじゃない。完成じゃない。

 

いや、だからこそ「完成」は自分で決めなくちゃいけない。人に決めてもらうものではない。どうなれば完成なのか、どうなりたいのか。どうなっていないといけないと考えるのか。

何か改善できる、何か変えればもっとよくなる。だから進化できる、変わり続けられる。