楽しいということ
好きなことだけして生きていけるとするなら、たぶん楽しい人生だろう。
ずっと遊んで暮らせるなら。子供のころはそんなことを一瞬考えたりもする。
楽しい事はやり続ける。と、やり続けることによって、得意な事になる。
得意なことは、自分には楽にできる。他の人にはできない。だからそれを仕事にしよう。そうして仕事についている人もいる。
しかし多くの人は、それを楽しみ続けることはできなくなる。それは、当初考えていた「自分の楽しみの範囲」を超えたことを考えなくてはならなくなるから。
たとえば、今月の売り上げは?「誰にも楽しいと思ってもらう」には?
自分一人で楽しんでいたのとは、ずいぶんと違う。
楽しい事を仕事にし、そしてそれでも楽しみ続けていられる人は、そんなに多くないんじゃないだろうか。
- - - - -
仕事を楽しんでいる人がいる。
何人も同じ仕事に携わっているのに、あの人だけなにか、楽しそうに仕事をしている。楽しそうだから工夫もする。と、より周りが良くなって、より楽しそうになる。
そんなきっかけがつかめた人は、スパイラルを上昇するように、どんどん仕事が楽しくなり、どんどん仕事が面白くなる。
どうすれば楽しくなるか、どうすれば面白くなるか。
「そんな、面白くなるかなんてわざわざ考えるかよ、けっ。」
…なんて言ってるようじゃ、到底面白くはならないだろう。
「面白いスパイラル」に「楽しいスパイラル」に乗っけるには。それを考え、その考えがはまった時は、ガッツポーズをしたくなるくらいやり切ったぜ感があふれないだろうか?
それが醍醐味。
面白い事が仕事になって、そして今でも面白い人はそんなにいないんじゃないかな。
なら、面白くないことを面白い事にすれば。
そんな人が各職場に一人現れるだけで、仕事はぐっとおもしろく、楽しくなりませんかね?