なりたい誰かはどこに居る

会社の中で、目指すべきロールモデルがいることは結構重要だ。あんな上司になりたい、あの上司かっこいいなぁ。目指すべきこんな人がいると行動が簡単になる。いや、真似ればいいんだよ。

女性の管理職が増えないのは、女性のロールモデルがいないからだとも言われることもある。だからロールモデルを設定しようなどとなるけれど、そもそも前例がないのだから、「ニワトリ/卵」の世界の話になる。


若者で管理職になりたくない人が増えているという。
これも同じだろう。「なりたい上司」が減っているからこそ、こういうことになるんだろう。長いデフレに押しつぶされ、厳しいコストダウン、残業対応でなんとかしのいできたここ何十年か。渋い顔をして、楽しそうな顔をしているところなどついぞ記憶にない時期がずっと続いていたのだから。そんな上司のポジションに誰がなりたいと考えるだろうか?

いい事がある「かもしれない」と思うからこそ、そこに行きたいと思う。その欠片もないところには、誰だって行こうとしない。それは若者の責任ではなく、そういう社会にしてきた、そういう社会にせざるを得なかった、これまでの大人の責任だろう。
若者に叱咤激励するのもいいが、そもそも大人が反省すべき。私も含め、決して楽しそうな顔をしていない。

ただし、景気は「気」だとも言われている。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ、感情は自分の行動から来ているところもあるらしい。
だから、とりあえず笑え。苦しくても笑って見ないか。
そして、少し楽しい事をしようよ。
そんな人たちが増えれば、そんな気持ちが広がるんじゃないの?