信じる者は

仕事において、「やってますアピール」を考えなければならないようになってくると、仕事は歪みだす。

部署の存在意義が問われ、自分の役割が問われ、その役割を顕示せんがために、示すための仕事、いわゆる仕事のための仕事をやり始める。

特に、さほど大きな問題がなく現場仕事が回っている時に、それを「さらに」良くしようといった事は、現場目線からすれば、手数が増える事ばかりが多く、自分たちに利が少ない。全体最適からするとよい行動だったりするのだろうが、そうしたことは現場的には関係がない。
「そんな面倒なことやってられるか」
「無駄に仕事増やすな」
などと毛嫌いされる。

 

それら組織を司っている上司も、まぁ今うまくいってるんだからいいじゃないかと、現場の見方をする…と、改善はあるレベル以上にはならない。そこで止まってしまう。
ここで本当に必要なのは、哲学や信念であり、それらを信じさせてくれること。


組織が根本的改善が求められているほどひどい状況の時、ドラスティックに変革を求めたとしても、それはそれで「ほんとにそんなことでできるのか?」となる。
改善規模が大きすぎても、改善規模が小さすぎてもどちらも必ず疑問が出てくる。それでできるのか?
ここで必要なのは、信じられる改革になっているのか。信じられるストーリー、できる可能性を感じられる道筋になっているかどうか。


どちらにせよ、信じられるか?がカギに。
いつでも、どんな時でも。