インフレしているのは

失われた10年が、ふと気が付くと失われた20年になっていたここしばらくの日本。

アベノミクス?で景気が上がってきている…ようにも書かれているけれど、全くと言っていいほど自分の懐が温まった感は感じられていない。

 

失われた20年でも、実はインフレしていたものもあるような気がしている。それはいろいろなものにつく「形容詞」だ。

 

昔なら「すごい」だけだったのが、「超」とか「ベリー」とか言い始めたりもした。

さらに、「美しすぎる○○(ここには職業が入る)」などという形容がもてはやされたものここ最近の傾向。もっと突き詰めると「美魔女」なんていうことばも、必死で価値を認識してもらおうという感がありありと漂っている気がする。

 

たしかに、テクニックも、素材も、薬も、その他もろもろ、いろいろと進化しているのかもしれない。が、しょせんは人間、実態はそうそうは進化しない。

必至でその気になるのはいい。努力することを否定するつもりはない。でも、それで「現実」を見失うのがたぶんもっとも痛い事の一つじゃないだろうか。今をそのまま受け入れられないこと、今の状況、それは体のみならず経済状況や自分が、地方が、国が置かれた状況を正しく認識できていない、ということを理解できていない/理解したくない状況。

 

イメージだけをインフレーションさせたって、認知をインフレーションさせたって、現実は変わらない。