個人のカケラ

人は時にコントロールしたがる。自分は他人からどう見られているのだろうか?と。

場合によってはこういう思いもある。自分はどう見られたいのか。そしてそれはたいてい、「そうは他人からは見られていないという今」のリフレクション。

 

SNSという装置が広まっている今、何が既読になっているか?が分かりやすくなってきている。その裏返しで、なにがまだ読まれていないかも見えてくる。

人は所詮、「見られている範囲の中で、どのように理解されているか?」ということ。場合によっては一部しか見られずに誤解されることもしばしば。

 
しかし最近は、そうした「個人のカケラのデータ」がネット上にたくさん散らばり、それらをどこかで勝手につなぎ合わされて、当人が知らない「その人」が作り上げられやすくなってきている事。そして、そうしてつくられた「その人」データが、独り歩きしだす可能性がとても高い事。
さて、それはプライバシーなんだろうか。カケラとカケラをつないでもよいものなんだろうか?いや、どんどんとそれが、かんたんに出来ちゃう世界に入りつつある今なんだけど。