山手線、ローカル線

つい先日は山手線がとまって大変な1日となった。普段動いている公共交通手段がいきなりすべて止まってしまうと、大きな影響を与えた1日となったわけだが。

 

東京に来て多くの人が利用するJR山手線。

扉が閉まりそうになって走り込む人もいるけれど、多くの人はそこまで焦らないことがほとんど。
次がすぐ来る、それでいいか。
こういう人を多く見るような気がする。今すぐ乗らなくても、次の見通し、数分後にすぐ来るということが理解/共有されているから焦らない。
 
地方に行って、ローカル線に乗る。
目の前に列車が来ていると、焦って走ったりする。何故なら次に来る列車が、早くて数十分、長いと数時間待ちなんてのが普通にありえるから。その土地の人なら、十分に知り尽くしたダイヤで余裕で載っていくのかもしれないが、たまたま旅行でローカルな駅を利用したりすると、山手線感覚ではいられない。
 
それでも次の見通しがあるのはまだいい方。次がまったく分からなければ、何が何でも目の前の列車にしがみつこうとするのは当然のこと。
それが日本の就職機会じゃないだろうか。新卒タイミングの一回目を逃すと、その後はまずない、などと言われる就職。(まぁ、ここ数年はそうでもないのかもしれないが…)
履歴書にある一定以上の空白期間があると、避けられたり、落とされたりすることも多い。その部分を、納得できる理由で乗り切れないと、なかなか難しいのが現実。
一度「レール」から外れると、二度とその路線に乗り込むチャンスがない。
次の機会が来る、ということが分かっている、理解されている、共通認識として持たれていると言う事が、システムとしてのある意味での安定性を生む。局所的偏りを避ける働きを持つ。
 
でも現実は、なかなかに、偏りを残したシステムのなんと多い事か。次を示す事、次が来ること。
だから、「次の機会」を手にできるように努力しなければならないんだけど。