価値を盗まれないために?

日本人は大いに群れる。

夏休み、冬休み、春休み、ゴールデンウィークに、最近だと秋はシルバーウィーク?なんて言い出したり。

各種行事もみんなで群れる。盆と正月にはじまり、バレンタインデー、ホワイトデーなどなど。業者も必死でなにか定着させよう、流行らせよう(そしてみんなの継続購買意欲につなげてもらおう)と頭をひねる。

 

反対側で、みんなそれぞれの価値観、個性が重要だともいう。皆と同じではいけない、個々で生み出す価値観、創造性が重要だと。

 

メーカーは、業者は、要するにこういう事だろう。

それぞれの価値観で、今までにない事、新しい事を創造してくれ。それを皆に広め、マスとしての事業に拡大できれば/皆でやる事、する事に拡大できれば、それで仕事が拡大していくと。

 

そして同時に受け取る側もみんなこう思っていそうだ。本当に「自分だけの価値観」など、あるのだろうか?と。

誰にも理解されない内容など、価値があるのか?と。

仲間外れにされたくない、変人だとみられたくない。みんなと群れていたい、その方が楽しいから、その方が楽だから。

 

以前の社会なら、そうした情報が伝わる装置がほとんどなく、偏在していることによって「そこでの価値」「個性的/地域的な価値」が生まれていた。

しかし昨今のデジタル化、通信環境の整備によって、どこかで生まれたモノや事は、すぐに世界に伝搬する。伝搬できない「その土地であるがゆえ」「その周りに揃った環境下であるがゆえ」といったもの以外は、ほぼすべてどこかで真似される。

 

動かせないモノ、そこから持ち出せない何かに価値を見いだせ、ということか?

本当にこれでいいのか?誰かと議論したいかも。