当たり前

あたりまえは、褒められない。

あたりまえは、賞賛されない。

いつもそのようにできて当然、今まで通り、特別なことはなにもない。
だから当人においても特別感はなく、いつも通り、普通通り。
 
でも、そう出来ていることが、外から見るとすごいことだったり、大きな価値を持っていたり。だから「価値」というのは、「自分で判断した自分の価値」ではなく「他人が判断した自分の価値」であることに、なかなか気づけない。
 
それがちょっとした行動であっても、ちょっとした言い回しであっても、当人にとっては当たり前なのだから、それ以前との変化は何もない。
 
他人を意識し、なおかつ自分を意識し、その中においてどのような違いがあるのか、そしてその違いは「外から見て」価値ある違いなのか、そうでないのかを見極めて初めて、自分の外部価値がおぼろげながら見えてくる。
 
知らず知らずのうちに習得したモノであればいいけれど、そうでない「価値」を、跡付けて身につけようとすると難しい。意識し続けなければならない。が、そうそう意識し続ける事すら難しい。
だからこそ、それを習慣化する。いつもの動作、あたりまえの作業にする。意識せずともおこなえるようにすること、やらないと気持ち悪いというところに昇華できるまでやりつづけられるか。
当たり前を「つくる」って、難しい。