ババ抜き

トランプを使ったゲームの一つに、ババ抜きがある。

細かいルールは言うまでもなく、ジョーカーを1枚いれて順番に隣の人のカードを取り、ジョーカーを最後まで持っていた人が負けるというそれだ。
 
このゲームの特徴の一つは、ジョーカーという負け札が、視覚的に非常にわかりやすいこと。なのでこの部分を改善して、ジョーカーの代わりに52枚の普通のカードから無作為に1枚選んでそれを伏せ(要するに1枚だけペアリングできないカードが出る)、そのカードのペアを最後まで持っていた人が負け、というババ抜きに準ずるゲームがある。
 
上記のどちらのゲームでも、共通していることがある。それは、「隣の人が、必ず1枚、自分のカードを引き取ってくれる」こと。であるがゆえに、スピーディーにゲームが展開し、最終的な勝ち負けがそこで決まる。
 
これがもし、次の人が誰もカードを引き取らなかったら、いつまでたってもゲームが終わらないこともありえる。持っていることに価値がある、時間がたてば価値が上がるとなると、ゲームが追われなくなる。が、まぁトランプゲーム等、さっさと終わる事、決着をつける事がゲームの目的でもあるので、実際にはそんなことにはならない。
 
しかし世の中は違う。
まず、自分が持っているモノが、ジョーカーなのか、いや、特に価値のない物なのか、いやいやとても価値があるモノなのかはわかりづらい。さらに価値があるモノであっても、それは「自分が思っているだけ」であって「他の人はどう思っているか」をつかむのは難しい。トランプのような単純化されたものであればよいけれど、一般にはさまざまな条件、状況があり、一目見て判断するのは難しい。
また、価値があることが分かったとしても、必ずしも次に引き取ってくれる人が周りにいるかどうかは分からない。極端なことを言うと、「自分が最後の所有者」であるかもしれないのだ。それが「自分で使うモノ」であれば、使い切って終わればいいのだけれど、「自分で使うモノではない」という場合は、まさにジョーカーをつかまされたに等しい。にもかかわらず、それがジョーカーなのかどうかはわかりにくい。そして、次に引き取ってくれる人がいるかどうかが良くわからない。
 
と、これがギャンブル的要素を持たない、という感覚が、私にはやはりわからない。
いや、ゲームは好きなんだけどさ。全員が勝てる「ババ抜き」はないんだから。