お金がないと言う幸せ

お金がないとは、貧乏、貧しい、となりそうだ。

が、日本と言う国が置かれている環境は、まさにそちらに向かっているように見える。給与は上がっているなどといって安心している人はいないと思うけれど、対ドル、対ユーロベースで考えれば、3年前から2割以上も落ちている。貧しくなっているはずなのに、それを喜んでいたりする人さえいる。

 

人口が減少し、産業が崩壊しつつある業界もある。世界に誇っていいはずであった終身雇用制は、とっくの昔に崩れていたりする。もはや、卒業した会社で定年まで働き続けられる人は、さて何%いるのだろうか?

 

だが悲観することはない。それは、お金がないということと幸せではないということが、必ずしもイコールではないというところだ。もちろん、一般的には、お金がなければ不幸せという部分はないではないが、それは十分条件ではない。

 

と考えると、お金がない、という「幸せ」を、どのように描くべきかが想像できていない、からではないのか?これまでのスタンダード、と言うか、ここまでの高々数十年間のみにおいてなされたみんなの思い込みの多くが、

「お金がある事、が、幸せ」だっただけではないのか。

「お金がある事、も、幸せ」であり、他方

「お金がない事、での幸せ」もあれば、それはそれで成立するはず。

もちろん、そんな考えかたは、これまでもしていた人があるかもしれないが、たぶん少数ではないだろうか?

 

それこそ、他人と違う価値観だとか、世界に一つだけの花だとかを推奨するのなら、お金がなくても幸せだっていいはずなのだ。が、そこへの多様性があまり感じられないのはなぜだろう。

 

経済を栄えさせるには、モノが売れて、お金が回って、ということばかりが取沙汰されてきた。新しいモノこそが価値、それがお金になっていた。

しかしかなりモノはあふれている。形あるモノではない価値を認めにくかった、認めてこなかった文化的背景も、もしかするとあるのかもしれない。

でも、生み出すものすべてが「お金になる」んじゃない世界だってあるんじゃないだろうか?それで回る/回せる世の中は、「不幸」なんだろうか?