制約のかたまり

世の中すべて制約に支配されている。

その最たるもの、それは「人」ではないだろうか。

 

手がもう何本かあれば同時に操作できる事は増えるのに。目が、耳がもっとあればなど数にまつわる事はすぐに考えられる。

たとえば温度だって、人間はたかだか摂氏0度程度から40度くらいまでの間で生息しているにすぎず、もっと低温で、もっと高温でも生き延びられれば、生息温度の制約がはずれれば便利になる人だっているだろう。

視力においても、遠すぎるものは見えないし、小さすぎるものも見えない。
ほんとうに微細なものを扱おうとするには、指は結構太い。
聞こえる音は、高々数kh〜20kh程度。聴こえない音域はいくらもある。
 

だが、逆にそういう制約があるがゆえに、その制約をうまく使うことで、「利便性」を生み出したり「快適」を生み出したりしているのではないか。
そう、制約とは、それをうまく使いこなすことができればそこに新たな価値が生まれる。使いこなせなければそれは単なる面倒でしかないかもしれない。
 
制約。
そもそも「何が制約なの?」かをわかっていなければ、何を解くべきかもわからない。制約をそれとして意識する事がスタート。