変化が無いように変化させる

昔からやっている老舗のお店。といっても、決して高級な何かを扱っている必要はなく、子供向けのお菓子でもなんでもいい。

街がまだ街としての機能を保っていた時代、あちこちの街では、その街の商店街に、昔ながらのいくつかのお店があり、リーズナブルな価格で、リーズナブルな商品を提供してくれていた。場合によっては「ここ○十年も値段が変わっていない」なんてのがマスコミに取り上げられたりもする店もあったりする。

 

では本当に昔から「何も」変わっていないのか?というと、決してそんなことはない。確かに、ここ最近までの20年ほどは物価の変動は小さかったかもしれないが、それでも徐々に物価は上昇し、何らかの工夫や仕入れ先の変更、加工方法の変更など、変化をさせていたはずだ。だが、それが「最終製品」として見えなければ、結果として「据え置き」になる、それだけだ。

 

さらに言えば、本当に「何にも/全く」変わっていなければ、何事においてもやがて飽きられる。食べ物でもそれ以外でも、大きく変化するのではなく、時代に寄り添って、微妙に変化し、追随することで、結果的に「時代の中で変わっていない」ように見えている物こそが、「変わらぬ価値」を維持し続けているように見られることではないだろうか?

だとするなら、変化がないというのは、それは見た目が変わること、わかりやすい変更点がないと言う見た目ではなく、本質として、中身として、「時代に対する相対速度が非常に小さい」ということを表す事であって、絶対的変化を表しているものではないと言う事のはず。

これは、単なる製品やサービスのみならず、人でもそうだろう。いつまでも現役の第一線で活躍できる人、いつもの時代においてもバリバリと仕事をこなし続けている人とは、と考えてみれば。

何をベースにして「変わらない」とか「変化していない」というのかは、突き詰めておいて損はない。


タイトルだって、ほらw。