戦力外通告

プロスポーツの世界は、ある意味非情なのだろう。「お前使えない」と戦力外通告を受けると、さて明日からの仕事は、どうやって食い扶持を、という話にもなる。

ただし、スポーツというのは(私は本当に深いところまでは理解できていないので、そうではない世界もあるのかもしれないが)、基本的バリエーション、やる事は変わらないのがほとんど。野球やサッカーのような球技が代表的だが、突然ルールが劇的に変わることはない。
まぁそのため、選手として活躍できる時期も、いっぱんビジネスマンに比して短い傾向があることから、年俸も高めに設定されていたりもするのだろうが。
 
そうしたプロスポーツに比して、一般ビジネスはちょいと違う。
今まで○○を作っていた企業が、今度は△△を作り始めました、とか、サービス事業に手を出し始めました、とか、事業を拡大展開させていく事は普通にありえる。
スポーツで「いままでサッカーは、ゴールにボールを蹴り入れる球技でしたが、その横で、別のサービスが始まります」なんてことにはならないが、ビジネスでは生じ得る。
 
となると、だ。
会社は新しい所に向けて、今まではやっていなかったさまざまなスキルを持つ人々が必要になったり、今までは活躍できなかった一つのフィールドにいた人が、新たな分野では突然必要かつ欠くべからざる人物になることも起こりえる。
そこにいかにうまく人を配置できるか、がマネジメントであり、そういう人達を速やかに見出し、かき集め、あらたなフィールドにおいて新たなビジネスを立ち上げるのがマネジャーの役割、人材活用のはずだ。
だからこそ、それは「リ・ストラクチャリング」であり、「構造を改革する」ことのはず…だけれど、残念ながらその能力が発揮できなかったので、うまくコマとして配置できなかった人達は「盤上」から出て行ってくださいね、「お荷物」なんですというのが、日本で言うリストラ(人減らし)。
ようするに、手駒をうまく使えないから、抱えているのも荷物なので捨てるということ。棋士でいうなら、手駒を捨ててしまうに等しいのではないだろうか?有能な力を持つ手駒を十分に駆使できずして、勝ち続けられる棋士が、果たしてどのくらいいるのか?
 
 
とまぁ「他人」に何かを求めても仕方ない、と言う考え方が昨今は一般的だそうだ。自分が変わるしかない。なので、お払い箱ですよと言われたときに、あぁそうですかと自分の力を買ってくれそうな企業、仕事に目星をつけておけるとか、自分の売り込める力をきちんと自分で自分を見つめている事こそが、昨今切実に求められている能力。
明らかに会社側のスタンスが高度経済成長時代とは変わり始めたのだから、当然ながら個人側のスタンスもそれなりに持ち方を変えなければならなくなる。会社に文句を言ったところで始まらない。人を大切にしないところとは離れた方がいい。結果としてうまく立ち回った方が勝ちでしかない。
 
そうして見ると、私の知人たちって、なんとすごいんだろう…と、最近facebookを見ていて思うのですよ。ほんと、すごいなって。