溺れる

それは、欲しいものが得られず、欲しくないものばかりが押し寄せてくる状態。

 
水中。
空気が欲しいのに、水しか入ってこない。空気!、空気が欲しい。だから酸素のタンクを背負ってもぐったり、1分に1度くらいは海面に顔を出したり。
 
欲しいものを欲しいだけ、一度に手に入れればいいか?というと、それはそれで中毒に陥ったりする。適度な量を適度なタイミングで、継続的に取り入れられなければ、身体が受け付けないことも普通だ。
 
人間、水を飲まなければ生きていけないが、飲みすぎてもまずい。これは食べ物でも同じこと。摂取しなければならないものはあれども、摂取しすぎてもまずいのだ。
 
 
情報。
これだけで、すぐに生き延びれたり、すぐに死んだりすることは、今のところはまずなさそうだ。だが、昨今皆さんが手にしている環境は、端末は、もしかすると情報にあふれていないだろうか?情報を取りすぎていないだろうか?情報で中毒になっていないだろうか?
ほんとうにその場でその情報が必要なのか、本当にそこで、その情報にアクセスする必要があるのか、すこーし考えてアクセスする必要もあるかもしれない。
 
アルコールの飲み過ぎの方が「休肝日」を作るように、情報を取りすぎの人が「休情日」がある世界がくる、というのも、冗談ではない気がするのだ。
 
 
…という情報を見ているあなたがここに。