たくさんの目

子供は地域で育てるなどと言われたのも今は昔。

大人が子供たちを見守れる地域、などと言うのは都会にはなかなか存在せず、子供は子供で塾だ習い事だと忙しい。

 

そんな子供たち(だけではないが)を見守っている現代の「目」がある、それは電子の目。

監視カメラが増えたなんてのはよくきく話。それも、商業施設たるスーパーやコンビニ、ビジネスオフィスのみならず、一般のご家庭、マンション、エレベーターにおいても、監視カメラが入っているのは当たり前の世界。

 

さらに、昨今は自動車にも「目」が増えている。

ドライブレコーダーとしての目。タクシーなどでは結構な率で普及が促進されつつある。自分が事故にあった際ばかりでなく、誰かの事故現場の動画や、非常に珍しい状況に出くわしたなどの映像が、Youtubeにあがっていたりもする。

 

さらに車はというと、電子的に「映像を記録する目」意外に、人を「察知する目」も搭載され始めている。ミリ波といったレーダーの目。これにより人の存在を探知し、車が判断してブレーキを作動させる。これが売りで業績を回復させている会社もあるくらいだから。

 

デジタルカメラの普及により「カメラ」が日常で使われることが増えたのみならず、携帯電話にすでに当たり前のように目がついていることで、映像を記録する手段を、誰もが普通に持ちえる世界。

また、目の形はしていないけれど、GPSだって、地図の上に表せば監視の対象となることからして、目の変わりと考えることもできるかもしれない。

 

そうした目が増えることで、「見守る」を超えた、監視できる体制が広がっている。

そうした、今は世間のあちこちに転がっている目の記録が、どのように「閲覧されているか」という記録がどこにも取られていないことが、実はプライバシー問題として重大な事なのではないかと思うのだけれど。

誰が、何のために見ているか?という記録がないことが、分析されて利用されるより前の段階として気持ちが悪い、と思うのは、私だけではないと思うのですが。