そこに頼ると

人には親切にしてあげなさい

 

誰もがそうしたいし、そうしている人がまだまだ多い昨今。日本も捨てたもんじゃない。

が、それに寄りかかりすぎるとどうなるのか?そもそも「寄りかかってはいけないモノたちがそれに寄りかかりすぎている」状況が増えすぎていないだろうか?

 

善意に頼れる社会、こんな有り難い、こんなに住みやすい社会は他にない。困っている人がいれば手を差し伸べる。すこし助けてあげるだけで、その人はとても楽に物事を進めることができたりする。これは回りまわって自分のためでもある。「情けは人のためならず」というのは、「他人に情けをかけるのは、その人のためにはならないよ」ではなく「まわりまわって、自分が困った時に誰かに助けてもらえるよ」という教えは、昔から伝わっているはずだ。

 

だが、これに寄りかかりすぎると、やがて誰も、善意を行ってまで助け合おうとしなくなる。ちょっと困ったら「助けてくれよ」。それも「助けてください」ではなく、「助けてくれて当然でしょ?」ときた日には、開いた口がふさがらない事も。

 

さらに、そうした善意に寄りかかりすぎると、そもそも善意をしない事(いや、普通はしようとしまいと良いはずなのだ、自分が協力できる範囲のはずなのだ)が、「悪」であるかのように思い込まされていたりする。少しは話題は減ったかもしれないが、ブラック企業、ブラックバイトの世界そのもの。

善行者の行為に寄りかかることにより企業収益を上げようとするのは、企業の驕りではないのか?そもそもそこまで効率化することこそが企業の倫理にもとるもののはずではないのか?

しかし、そんなことすら判断できる「大人」が減ってきているのかもしれない。大人が「金」でしか判断できない、「金」こそが目的になっているからゆえの行為かもしれない。どんな事が何を壊すのかも分かっていない、いや、考えようとすらしない。

 

そこに頼ることで人が壊れ、社会が壊れていく。小さなほころびかもしれない、が、アリの一穴であるかもしれない。