アニメとCG
100円ショップにはいろいろなものがある。いまさら驚くことは少ないけれど、さまざまな物が、「これも100円!」という感じで並んでいる。
先日、某ネズミの国でおなじみのレーベルのDVDが100円ショップで並んでいた。今どき、レンタルでも100円程度なので驚きはない物の、2枚ほど購入。
自宅に帰ってみてみた。
今更ながら、良く「動く」のだ。本当に画面の中のすべてのものが良く動く。
たとえばお花畑。画面の中の花、一本一本すべてが動くのだ。まず間違いなくそれが制作されたのは1960年代以前の話。いまから50年も前の作品だから、CGなどありえない。すべて手書き。それで一本一本の花が、風にそよぐ。信じられない光景だ。
日本のアニメはそうしたアメリカ産のアニメ映画にあこがれた手塚治虫がアイデアを尽くして商業化に乗り出した。が、それにより、さまざまに「手を抜く」手法が考えられた。
なので、日本の(特に昔の)アニメは、よく止まる。画面が止まることがアニメだった。今でも端々にその傾向が見える。
それに比して、CGが台頭しだしている昨今。こちらはCGであるがゆえに、一度モデルができてしまえば、あとは動かせばいい。逆に「止める」ことに価値は見出されることは少ない。様々に動かせるように、とモデル化したのだから。であるがゆえに、以前なら「止め絵」になっていたところで、洋服がなびき続けたりする。CGたるゆえんでもある。
しかし昔ながらの絵作りになれた監督などは、そういうところを指摘する。
「いや、そこ動かさなくてもいいから」
どちらがいいとか、悪いとか言うつもりはない。
そういう文化として育ってきたのだ。そしてそれが生み出してきた雰囲気、空気感、間もあるだろう。
日本の伝統、とまでは言わないが、世界に誇れる力があるうちに、もう少しいろいろ整備できれば、本当に国を支える産業になるはず。制約がアイデアを引き出し、新たな驚き、価値を生み出す。